“念のために助言しておきます。
この件でネット上で当事者を批判するのはおやめなさい。
赤の他人の失言をあげつらって公然と批判するというのは、実は非常に難しい事なのです。私よりも年齢を重ねた人でさえも、きちんと出来ない人は少なくありません。その割に、得るものはあまり多くありません。
批判自体は簡単です。ただし、自身の品位や人間性を損なわずに批判するというのは、これは極めて高度な技術に加えて、強い精神力も求められるのです。
これが無いままに安易に批判する。手軽に正義感を振りかざせるので、やがてそれがクセになっていきます。”
anond.hatelabo.jp/touch/20140624211919?utm_content=buffer31012&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer (via kotoripiyopiyo)
“しかし「優秀」というラベリングには「記憶力」と「知識量」という要素が未だ支配的であるということを知った瞬間だった。 脳に記録されていなくとも世界中の知にアクセス出来るデバイスがポケットにあるにも関わらず、それを使う事は感覚的にチートとされてしまう世代が僕らのビジネスをまだ握ってる”
“まず最初の大事な真実は、ほとんどの人はあなたが生きているかどうかすら気にしていないということです。”
(via yaruo)

亡くなってゆく被爆者は、道ばたにうずくまり、横たわって、初めに何と言っていたのか。「兵隊さん、仇を取ってください」と言っていたのだ。


原爆投下直後に呉から広島に救援に入った複数の兵隊が異口同音に言っていた被爆者の訴えがこれだ。被爆者は碑文が勝手に言うように、自分たちが過ちを犯し、悪いことをしたから原爆で死ぬことになったとは思っていなかった。当たり前だ、非戦闘員の彼らに原爆を落としたアメリカが如何に残虐な奴らか少しは考えろ。


次に、原爆を落としたアメリカは、民間人の大量殺戮の為に原爆を落としたのであり、まさにナチスのユダヤ人虐殺と同じ悪の権化ではないか。それを、何か。日本が誤っていたから正しいアメリカに落とされたと言わんばかりの碑文は、これこそまさに死者に対する冒涜ではないか。