” 自分の意見にこだわらないというのが、僕のこだわり ”

” 僕は愛があるから「ラク」って言っちゃう。
逆にね、つらいことを人に言っているようじゃダメです。
言霊というのがありますからね。
意地でも「簡単ですよ」「ラクですよ」と言っている方がいいことが起きるんです。”

” 就職や仕事で悩み過ぎている人を見ると「自意識を少し捨てれば、気持ちがラクになるのに」と声をかけたくなることがあります。”

” 自分で自分の心をいい意味でだましていく。”

”「乗りかかった船」みたいなことって、偶然のようでどこか必然性がある気がするんですよ。
その「流れ」に乗った方が自分の思いもよらないところまでその船は連れて行ってくれる。
だからね、ジタバタしなくていいんですよ。
ただ「流れ」はちゃんと受け入れるというのが大切なんじゃないかな。”

” 機嫌よく仕事をするというのは社会人のたしなみ ”

「慢」って思い上がりという意味で
人の心には七つあるそうです。
そのひとつが「我慢」

困難に負けず自分と未来を信じるのが忍耐
独りよがりに自分の我に執着するのが我慢・・・だそうで

我慢してるとそれが顔に出る
言葉では謝ってる、頭も下げてる、
でも自分は絶対間違ってない・・・て顔

忍耐力って言葉はありますが我慢力なんて言葉ありませんよね
どうしてか・・・
どんなに我慢しても我慢=自分が正しいと思ってる限り
本当の力はつかないからだそうです

-バーテンダー Glass151 「東京駅6時発のぞみ」我慢の女子

(via petapeta)
“人は「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」と思えたとき、愛を実感することができます。劣等感を抱くでもなく、優越性を誇示する必要にも駆られず、平穏な、きわめて自然な状態でいられる。ほんとうの愛とは、そういうことです。”

『毎月新聞』(佐藤雅彦著/中央公論新社)という本のなかに、こんな文章があります。
15年くらい前に書かれたものです。
僕は、ネットが嫌になったとき、これを読み返すようにしているのです。

 故郷で独り住まいをしている高齢の母親は、テレビの野球中継をとても楽しみにしています。「この松井って子はいいよねえ」と、目を細めながら応援しています。そして、好きな番組が終わると迷いもなくテレビを消すのです。たまたま帰郷していた僕は、そんな母親のあたり前の態度にハッとしてしまいました。『面白い番組を見る』――こんなあたり前のことが僕にはできなかったのです。


 テレビを消した後、静けさが戻ったお茶の間で母親は家庭菜園の里芋の出来について楽しそうに僕に話し、それがひと通り終わると今度は愛用のCDラジカセを持ってきて、大好きな美空ひばりを、これまた楽しそうに歌うのでした。


 僕はそれを聴きながら、母親はメディアなんて言葉は毛頭知らないだろうけど、僕なんかより、ずっといろんなメディアを正しく楽しんでいるなあと感心しました。そして目の前にある消えているテレビの画面を見つめ、先日のやつあたりを少し恥ずかしく思うのでした。


 つまらない番組を見て、時間を無駄使いしたと思っても、それは自分の責任なのです。決してテレビの責任ではありません。リモコンにはチャンネルを選ぶボタンの他に「消す」ボタンもついています。


 僕達は、当然テレビを楽しむ自由を持っていますが、それと同時にテレビを消す自由も持っているのです。


ネットは、テレビに比べると、「悪口が直接自分に向かって飛び込んできやすいメディア」です。
でも、パソコンの電源を切ったり、SNSにアクセスしなければ、道の向こう側から迫ってきて、無理矢理イヤなことを目の前で叫ばれる、ということはないんですよね。
そもそも、「イヤなら、つまらなければ、観ない」という選択も、僕たちにはできる。
見に行っているのは、自分の責任でもあるのです。
わざわざウンコを触り、臭いをかいで、「うわー、なんでこんなに臭いんだよ!」って怒っているようなものです。
それが臭いのは、知っているはずなのに。
(よ・う・か・い・のーせいなのね、そうなのね?)


正直、ネットで「情報を遮断する」というのは、「テレビの電源を切る」より、難しいとは思うんですよ。
ネットには「必要なもの」「面白いもの」と、「危険なもの」「不快なもの」が入り乱れているし。


それでも、僕たちには「ネットに触れない自由」があるし、そのための手段もある。
「ネットの中で、接触するコンテンツ」を選ぶこともできる。
まあ、大概において、わざわざ不快なものを引き寄せてしまうのは、自分自身なんですよね。


いまの世の中で生きていると、あまりにも「情報漬け」の状態に慣れすぎていて、そこから自分を遮断すると、不安になってしまう。
それはたぶん、杞憂なのです。
「なにげなくテレビを観つづけるのをやめる」、というのではなく、「積極的にスイッチを切るという選択をする」ことが、大事なんじゃないかな。


ネットで自分にとって不快なものに憤って改善しようとしたり、自分を嫌っている人を変えようとするのは、あまりにも不毛な作業です。
そんなどうでもいいものに関わっているほど、人生は、長くない。


自分にとって面白いものに対する知識を深めていったり、気が合いそうな人と繋がっていくことのほうが、「ネットの効率的な利用法」だと思います。


それでもやっぱり、「暗部」みたいなものが気になってしまうのも、事実なんですけどね……
これも「妖怪のせい」なのかな。